なんとなくの理解で十分

「相手のことを理解できる」もしくは「自分のことを理解してもらえる」という前提があると余計にズレが大きくなるなあと感じる。

感情だって、思考だって、自分自身の中にあるものしか私たちは理解ができないのだから、そもそも相手のことなんて理解できない。
似たような経験はあっても、まったく同じ経験があるなんて人はほぼいない。理解できたとしてもなんとなくの理解が精一杯だと思う。

理解することが自分の中での正義であり、正解であり、だからこそ理解できないことに苦しんだり、ずいぶんと長い間理解されないことに悩んだりしてきたけど、そもそも理解なんてものは存在しない。

なんとなくの理解で十分だと考えるとずいぶんと身軽になれるし、相手に期待を持ちすぎることもなくなる。

大切なのは理解することではなく、理解したいという姿勢。

「私にはあなたのことがわかります」なんて人がいたら、

・・・要注意です(笑)

理解はできないけれど、寄り添うことでほんの少しだけ相手のことを感じることができたりもして

そのぐらいの癒しがお互いが自由でいいなと思う。

癒しには言葉で噛み砕かなくても良い時間と互いのエネルギーが自由に流れる場が必要です。

そろそろ、人生相談なるセッション?を形にしようかなと思っています。

ヒーリングセッションと名付けてしまうと、必要な人には手にとってもらえないと思うので別の地味な名前で。

マーケティングとは無縁の癒しをどうやって手にとってもらえるか。
私の大きな課題です。

ではでは、今日はこのへんで。