正解探しをやめてみる

解剖学の勉強でお世話になっているゴローさんのメルマガには、こんなことが書いてあった。

解剖学の正解は1つ。

確かに、解剖学の正解は1つ。そのたった1つを覚えればいい。
でも人生の正解は1つではない。

いくつもの正解も不正解もあって、どれもこれも正しくもあり正しくもない。

でも無意識でいつも正解を探してしまう。

人の生きづらさの大きな原因は「正解を探してしまうこと」だと思った。だから人と比べる。誰かの正解が正しいものだという大きな勘違いに気づけずにいると永遠に抜け出せない生きづらさを生み出す。

100人いたら正解は100あるもの。

価値観の違いは仕方ないことだし、多様な価値観があるからこの世界は補いあうことができるのだと思う。

誰かを攻撃したくなった時、丸め込みたくなった時、そういう時は自分の正解が正しいと思い込んでしまった時だし、正解に捕らわれてしまった時。

子供の頃からたった1つの正解を答えるように教育されてきてしまったもんだからそこから抜け出すのは大変なことなのかもしれない。

でも、正解なんてものは100人いたらい100通りある。
そこに正しいも間違っているもない。

承認欲求の正体は自分が存在することに「正解」と言って欲しいことなのかもしれないなあなんてことをこれを書いていて思いました。

正解探しをやめた時、はじめて世界がクリアに見えるようになると思う。
理解し合うことは同じ正解を見つけあうことではないよね。

同じ正解を見つけ合うことが目的になってしまうと、あっと言う間に村社会ができる。村社会で違う正解を持てばそこから弾かれたり。。。
多くの人がそういった経験をしたことがあるだろう。

共にあることや人とつながっていくことの難しさを感じながら、それでも人とつながっていきたいなと思う。

まだまだ課題だらけだけど、先に進まなきゃ。

ではでは、今日はこのへんで。