昨日の夜にブログを書いた。
自分がスピリチュアルにどっぷりとはまっていた頃を振り返りながら、当時起きた出来事を書いてみたんだけど、
読み返してみたらなんとも幼稚な内容で(汗)自分のことなのに嫌気がさしてしまった。
何も見えていなかった自分は、ある意味とても純粋で目に見えないものとしっかりとつながっていたいという想いだけで突き進んでいたように思える。
自分とのつながりよりも、目に見えないものとのつながりの方が価値のあるものだと思っていたし、そうすることで奇跡は起こるものだと信じていた。
何よりそのつながりは自分を特別な存在だと自分に認識させる方法だったのだと思う。
目に見えない力や存在とアクセスできることで(と思い込むことで)自分を飾ることでしか自分を特別な存在として扱うことができなかった。
これ、ダスカロスの学びの中にも出てきますね。
透視能力者になりたいという相手に向かってダスカロスは
何のためにだね。人生の真理を知りたいからか、それとも、サイキカル次元のあちこちからの来る情報を垣間見ては自分の人格の性質によって色づけたものを、真理を見ていると言いたいのかな。
と伝えます。
そしてこう続けます。
それを使おうと思っている人が成長していないと、透視能力も透聴力も意味はないんだよ。
当時の自分がこの言葉を伝えられたら、100%反論しただろうし、聞く耳ももたなかったでしょう。
なぜなら、この言葉が自分にとっての真実だから。
真実を受け入れることで自分の信じていたものを、積み上げてきたものをゼロに戻すことが当時の自分には出来なかったでしょう。
自分の欲求の根っこを知ること。
過去を否定するのではなく、ただそれを認めること。
でも、人間はそれがなかなか出来ない。
氾濫するエネルギーワーク。
ほとんどが特別な魔法を手に入れたいとか、一瞬で問題を解決したいとか。
そういう目的を持つ需要に対してのものなのだろう。
私がヒーリングサロンの看板を下ろした理由は、その需要に応えることができないからです。
ヒーリングセッションを受けるために私のところに来ていただいても
一瞬で問題を解決するような魔法を渡すことはできないし、それがヒーリングだとは思っていないので。
癒しの道を歩むために自分自身が成長していきたい。
そう思える人に渡すものしか、私のヒーリングは喜ばれないことを受け入れたことからの決断でした。
3000文字書いたブログを躊躇うことなくゴミ箱に捨てることができたのは、自分を客観的に見る作業がスムーズにできたからだと思う。
わざわざ過去の出来事を1つずつ並べなくてもいま伝えていけることはたくさんあると思うし、過去の出来事をさらけ出すことが、今必要なことではないことがわかったので、また改めて書くことにしましょう。
ではでは、今日はこのへんで。