ありのままの表現とは?

 1月14日から5日間、絵画合宿に行ってきました。

この絵画合宿の存在は5年ほど前から知っていたんですが
なかなか踏ん切りがつかずに5年も経ってしまいました。

普通に考えても、絵心のない大人が 5日間、
朝から晩まで絵を描き続けるなんて

できっこないじゃんっっっ

というのと

自分の知らない世界を知る怖さが
参加を遠ざけていました。

自分の知らない世界というのは
楽しみではあるけれど
怖いものでもあって

そこに 「できない」「大変」
という経験があるように感じられるものには
なかなか手を出さないものです。

私は小学生の頃、漫画家になりたくて
おこずかいで丸ペンやらGペンを買って

見よう見まねでペン入れをしたり
絵を描くのが好きな時期がありました。

りぼんとかマーガレットに
漫画の主人公をハガキに描いて
投稿したりもしていましたね。

元から絵が描けないのではなく
好きだった絵を描かなくなった自分が

もう一度絵と向き合うには
閉めてしまった扉を開く必要があり

その恐怖というのが強かったのかもしれません。

思春期の頃、自分を何かの形で表現したい
と思っていた私は

絵を描いたり
詩を描いたり
音楽はてんで才能がなかったけど
自分なりに形にしようと努力していました。

今みたいにインターネットもなく

自分を表現した形を誰に見せるわけでもなく
しばらく手元に残しておいても 時間が経てばゴミになる。

その繰り返しが嫌になって
次第に絵を描くのをやめてしまいました。

絵を描くことが好きだと思っていたけど

それは承認欲求を満たすための
ツールにしか過ぎなかったのでしょう。

そういった感情や記憶も
絵を描くことで掘り返されるだろうなあと
感じてはいたんだけど

合宿中は想像以上に
記憶がフラッシュバックして大変でした。

3日目は強烈な頭痛に襲われ
2時間しか眠れないし 命がけ・・・(涙)。

いまの自分は記憶で出来ているのだなあと
ズキズキと痛む頭を抱えながら確信したり。

合宿後、いまだフラッシュバックは続いていて
全く意識していないところで
記憶が蘇ってしまい・・・落ち着きません(苦笑)  

 

 

5日間、見て描いてを繰り返して
自分を振り絞るような時間を過ごして

あまり周りのことも気にならなくなり
ずいぶんと外側に意識を向けて
エネルギーを消費していたのだろうとも思いました。

ヒーリングサロンの看板を下ろして
自分を振り絞ってみた結果

ようやくヒーリングを再スタートできる
準備が整いました。

絵画の先生が

「表現しようとして絵を描いてはダメです」
と言っていたんですよね。

「この瞬間を表現しよう」
と絵を描き始めた瞬間から

自分と外側に1枚フィルターがかかり
それは対象物を見て感じた

ありのままではなくなる。

これは絵だけじゃなくて

人生そのものも同じだと思う。

ただ、自分の内側に存在するものを
出すだけで本当は良くて

表現しようとすら思わなくていい。

出したかったらだせばいいし
面倒だったらやらなければいい。

着飾る必要もないし
ましてやエンタメも ヒーリングには必要ない。

ああ、なんだ地味でいいんじゃん(笑)と。

自分の内側にあるものを ただ出していく。

それが本当の意味で表現になる。

 

やっぱり、 在り方であり生き方なんだ。  

クラニオセイクラルオステオパシーサロン hic et nunc
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