週末のアニマルヒーリングクラスに向けて
&これから募集を開始するヒーリングクラスに向けて

時間のあるときは
何冊も本を開きながら
大きな紙にあれこれと書き込んで

「うーむ」と考えるの繰り返し。

言葉って不思議なもので
水道の蛇口を小さくひねったときに出る水みたいに
書き初めはちょろちょろしかでないんだけど

スイッチが入ると
止まらないくらいに言葉が出てくる。

スイッチが入ってからが本番で
言葉を出し切った後に要らない言葉を
削いだり足したりしながら

一番自分の心と想いに近い言葉を紡いでいく。
心と想いを超えてしまうような言葉も生まれるから不思議。

ミュージシャンが音作りをするみたいに
言葉作りしてるんだなあと思うことがある。

と言っても、
私はライターでもなんでもないんですけどね。

ヒーリングって形がないもの。

あえて〇〇ヒーリングなんて形をとると
余計にヒーリングから離れてしまう。

本当はこの言葉だってヒーリングになりますからね。

1つ前のブログで

私もヒーリングを仕事にして
クライアントさんからお金をいただいています。

でもいつかそこからも
抜け出したいと思っています。

きれいごとかもしれないけど
ヒーリングと物質的な報酬はイコールにはならない。

と書いたのも
あえてヒーリングという形にしなくても

そこに居るだけで
あるだけでヒーリングが起きるくるいの存在になるのが
私の目指すところ。

だから小手先のテクニックには全く興味がないし
そういったものを伝えていきたいとも思わない。

3年くらい前に、
ヒーリングマスタークラスの募集の文章を書いたとき
「ヒーラー自身が癒されていなくても大丈夫です」
といったことを書いたんだけど

いまはそうは思っていません。

「癒されていなくても大丈夫」ではなくて

「癒されていないことを認め、
癒していくことを自分に約束できるのならば大丈夫」

だと今は思っています。

そして、
どんな知識がついても、どんな力が備わっても
それを自分のエゴや見栄のためではなく

誰かのために
何かのために
使っていってほしいなと思うのです。

自然な形でね。

もしもふとした時に
自己犠牲といった解釈をしてしまうならば
ヒーリングはしない方がいいです。

自分すごいとかもなしです。

そもそも、ヒーリングは
自分の力を使ってするものではないですから。

捨てて捨てて削いで削いで
ようやく気がつけたこと。

15年もヒーリングに携わってきて
ようやく入り口に立てたかなといった感じです。

今週中に形にできるとよいな。
がんばろう。

ではでは。

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